日曜美術館雑感と木田美術館講演にて

2013/07/15

『日曜美術館』で「神田日勝」が放映された。20年前の開館当時に、放送されたことがあるので、僕にとっては2度目の取材対応であった。今回は事前の調査取材に同行して、改めて色々と新しい証言を得ることができた。全道展での画友であった渡邉禎祥さんは「室内風景」の制作に取り組んでいた日勝の新しい挑戦の模様を語り、理解者であった高橋悦子さんは「室内風景」の男がモデルの問いかけに日勝が自分であることを語ったと追想している。脇坂裕さんや大槻八重さんの回想も今にしてみれば親しかった人にとっても新鮮な証言に相違なかろう。ただ放映されなかったインタビューの中には、事前調査に立ち会った僕にとって、初めて知ることも多かった。語り手は問いかけ者によってはまったく別な側面から答えを発するものである。その意味では、ディレクターの問いかけは僕の知らなかった日勝の細部を改めて教えてくれることになった。レポーターの井浦さんの鋭い感性や、窪島さんの視座には改めて感心させられた。それにしてもこの番組の反響は想像以上といえた。放送直後から美術館の詳細を問う方や図録等の注文依頼の電話やメールが殺到、送料計算で担当職員はてんてこ舞いであった。病院から外泊許可をもらい隣接する「福原記念美術館」に顔を出したら、番組を見て本州から訪れた方々の足は福原美術館にも向けられたという(橋本館長談)。
木田金次郎美術館の記念講演会に招かれて7月13日に90分ほどお話をさせていただいた。もっと準備をする予定だったが急の病院暮らしで資料作成も当館の課長補佐にお願いするなど、内容も吟味することができなかった。言訳がましいが、また今だからいえるが結果によってはドタキャンもありうると宣告されていたのだから。木田館に出向くと参加者は美術館関係者や、親しくさせていただいている画家の方たちが多く、別な側面から話せばよかったと後悔している。当館にしろ、木田館にしろ、美術館存続の最大のバックボーンは支援組織の熱意のあるということだろう。両館に共通する強みはいずれも粘り強い建設運動によって完成された施設であるということだ。このことを忘れると入館者数の増減のみが美術館の存立を決めてしまうことになってしまう。同時に学芸員を中心とするスタッフは冠された画家個人の業績に誇りを持つことであろうし、そのための不断の努力を重ねていかなければならない。そのことを強調すべきであったと思う。それにしても尊敬する徳丸滋ご夫妻、わざわざ函館からは新道展の重鎮鈴木秀明ご夫妻までおいでいただき冷や汗ふきふきのひと時であった。敬愛する岡部卓学芸員には幾重にもおわびしなければなるまい。なお木田館のカウンターに伝言を残された加藤多一さんにこの場を借りてお礼まで。

神田日勝記念美術館長 菅訓章