とかち鹿追ジオパークと神田日勝

 「火山と凍れ(しばれ)が育む命の物語」と銘打ったとかち鹿追ジオパークが2013年12月に日本ジオパークに認定されたことは鹿追町民としては記憶に新しいところです。認定に必要な幾つもの課題をクリアーするのは容易なことではなかったのですが、特筆すべき取り組みに町内の小中高校の授業に「地球学」という独自の教科書を作り、授業を通じて地元の大自然を体験し地球規模の自然環境を学ぶ姿勢が高い評価を得たものです。
 「…命の物語」の言葉の意味に触れてみます。鹿追の町全体に太古の昔から形成されてきた原野は、先住のアイヌの人々以外は踏み入れたことのない、およそ人間を寄せ付けない自然環境でした。この大自然に立ち向かった先達は鬱蒼と生い茂る原始林を伐採して木材に、厄介者の笹薮も耕して畑に、冷害・風水害など劣悪な境遇も耐え忍び、肥沃で恵みあふれる大地に変えてきました。その弛みない努力の結晶が鹿追の大地であり、そこに生きる人々の生活が鹿追町のジオそのものという意味が込められているのだと思います。
 これらの史実を鑑みるとき、北国に何不自由なく生きる今の私たちの平穏は、先達の尊い努力の上に成り立っていることを忘れてはならないものと自戒の念を抱いています。
 そして、あたかも自らが短い人生と知っていたかのように開拓者として貧農の生活を背負い、大地と対峙し働き、乾いたのどを潤すようにベニヤ板に向かってペンティングナイフを揮いながら32歳の若さで逝った神田日勝。彼が残した作品とその人間模様もまた「…命の物語」の中に位置づけられるものです。
 今年は4月からの当館入館者が4万人を超えると予想されますが、これからのお客様にも是非とかち鹿追町の「ジオ」をお楽しみいただき、「ジオ」をイメージしながら当館においでいただくと、昭和の時代を生き抜いた神田日勝の作品の叫びをお聞きいただけるものと思います。
 雪が深くなってきました。どうぞお気をつけてお越し下さい。

 神田日勝記念美術館館長  小 林  潤