オンラインの時代

 戦後の日本で育った自分にとって、身の回りの課題解決に欠かせないのが友人知人との接触であり情報交換の時間でした。身を寄せ合って生きる術を身に着けてきた自分たちの生き方が情報化時代の波に洗い流されるように色あせ、あらゆる情報が個々人で得られるようになるとそれまで築きあげられたコミュニティさえも徐々に存在価値が崩れるように薄れてきているこの頃です。
 そこにコロナ禍という大きなうねりが世界を席巻し、生活はさらに変貌を遂げています。
 
 昨年8月にもオンラインは取り上げましたが、ひょんなことからハノイの日本人学校に通う小学生3人(一年・三年・六年生)が我が家で束の間のオンライン授業を受けています。30人ほどのクラス児童のうち10人は登校し20人ほどはコロナ禍の影響もありオンライン授業。3人は個々に持参したタブレットの向こうの先生とやり取りをしながらノートに書いたり、指名されて教科書を音読したりと、私から見れば特殊な時間が流れている。教員の目配りも教室とパソコンの画面の向こうの児童とのやり取りで相当な配慮が必要と感じる。父母会などもオンラインでの開催。
 数日後、この状態で卒業式も行われた。我が家の6年生はスーツ姿に着替え幾分緊張気味に姿勢を整えている。画面の向こうでは体育館のステージ上に「卒業証書授与式」の横幕が掲げられ、羽織袴や着物・スーツ姿など思い思いの会場出席者とオンライン出席者。「起立、礼、着席」の声がかかると、児童たちは其々の居場所で対応している。式後会場で記念撮影をする児童たち。それを後目に我が家では玄関での家族写真が卒業記念写真となっています。
 コロナ禍がもたらす職場や学校現場でのオンラインの加速は、それまでおぼろげに新たな時代のコミュニケーションや仕事のスタイルとして受け止められると想像してきたのですが、現実に直面すると、理想的と思える半面無味乾燥と思える断片が際立ち、そんな時代に包み込まれるようで受け入れがたい気持ちに苛まれるのは年齢のせいでしょうか。しかし、良くも悪くもこれが現実です。 

 当館でも遅ればせながら各種の情報をペーパーからウェブに切り替えお知らせすることが多くなりつつあり、新年度は本腰を入れてホームページのリニューアルにとりかかります。より正確で分かりやすい情報に仕上げ、館と作品の理解を深め得る媒体且つ作品鑑賞意欲の高揚につながるものへとオンラインの時代への試行錯誤が続きます。

 神田日勝記念美術館館長 小 林  潤