蕪墾祭に寄せて
6月17日は神田日勝記念美術館の開館記念日である。
雨模様の天候が続いたこの美術館の待望のオープンの日。
奇跡的と思われる雨上がりの午後、美術館の正面玄関で行われた関係者によるテープカットの瞬間を今も鮮明に思い浮かべることがある。
一年後この記念日を何らかのかたちでお祝いしたいという神田日勝記念館友の会(当時)有志の熱意がこの誕生日イベントの原動力となった。
前年よりこの行事の骨格を形成する伏線はあった。
隣接する鹿追町民ホールの開館事業の演奏会のため来町した旭川混声合唱団の指揮者である白井先生が、地元そよ風コーラスの指揮者松里充さんの案内で当美術館を訪れたとき、このミュージアムでアカペラの宗教曲を合唱できたら素晴らしいと感想を述べられたことがひとつ。
また当時北海道電力が公共施設の記念事業に合わせて施設のライトアップを積極的に展開していたことに便乗し、新得営業所が事業縮小するまでの数年間、この時期にほぼ一週間美術館を夜間幻想的な空間にしていただけたこと。
また僕が私淑していた置戸町図書館長の澤田正春さんがオケクラフトの振興のために行った事業の一つだが、図書館での文化講演会の終了後、郊外の鹿の子ダムのレストハウスに場を移しオケクラフトの器にフランス料理を盛り付け、ワインで交歓したという事例に感銘を受けていたので、それを鹿追町でも再現できないかと長年温めていた願望―それがワインとチーズの交流会なのだがーの具現化。
それがこの事業として結晶したものである。
「荒涼の地に他に比類なき美術の殿堂ができた」-『蕪墾祭』はこの流れの中で高橋揆一郎館長が命名されたものである。
当初は3部構成。
一部は前述した置戸町図書館での講演者であった小檜山博氏(のちに3代目館長に就任)のトーク、2部はかの白井先生が指揮する旭川混声合唱団の演奏会(薄謝の中手弁当でバスを借り切ってほぼ自費で出演していただいた)、3部はワインとチーズの交流会-現在の交流会と違い市販のプロセスチーズにクラッカーは地元スーパー、ワインは近所の酒店から当日かき集めたもの-。
人手も少なく、参会者も少なく、とってつけたイベントの感はぬぐえなかったが、それでも携わった関係者の熱意と充実感が明日の盛況を予見していたように思われる。
間もなく20回を迎える『蕪墾祭』。
長い歩みの前史を今振り返る。
神田日勝記念美術館長 菅 訓章