春の展覧会に寄せて

ゴールデンウィーク期間を通じて神田日勝記念美術館と鹿追町民ホールで二つの展覧会が開催される。
美術館では美術評論家中野中先生の企画なる「新世紀の顔・貌・KAO/最終章」。公募展等の枠を超え、中野先生が実見した画家30人余の自画像を展示するこの企画も延べ10回、300人余の顔が勢揃いしたことになる。

私たちは第3回展より参加させていただいたが、後半は北海道の画家も積極的に採用していただくなど、館の存在感に重みを持たせていただいた。
また全国巡回の口火に高輪画廊でのオープニングでは多くの画家に巡り会う機会も提供していただき、美術館のアピールにも大きな貢献ができたと思っている。
残念ながら今回をもってこの企画も最終章を迎えるが、その悼尾を飾ることができたのも、中野先生との永年の交流を考えると感慨深いものがある。

同時開催の「東北芸術工科大学の美術家たち」も、その「顔展」で知り合った木原正徳教授の作品世界を紹介したいというのが端緒だった。
武蔵野美大、多摩美大、筑波大と続く大学の作家展のシリーズの一校として東北でもっともベーシックな芸術教育を展開する大学であると中野先生に紹介されたことも要因にある。
同大学で教鞭をとる5人の美術家の力作が一堂に会するのも稀有の試みであり、4月24日午後1時30分には遠方より訪れる作家グループのために急遽作品解説会も実施する運びとなった。
この解説会、希望者は誰でも参加できることは言うまでもない。

ところで、出品交渉で山形市の同大を訪ねたとき、私には衝撃的なことがあった。
遠路北海道から館長が来たというので、展示ホールで作品展設営中の北海道出身の大学院生を紹介していただいたが、誰一人神田日勝という画家を知らなかったということである。
画風も変わり、造形感も大きな変化を見せているが、膨大な作家群像の中で、ある時期強烈な印象を与えた日勝も時代の流れの中で遠く輝く星のひとつにしか認識されないのだろうか。

似た経験をかつて萬鉄五郎記念美術館で体験したことがある。
平澤学芸員と談笑中、萬の作品調査に来ていた九州の大学の大学院生を紹介された。
しかし彼女達は神田日勝の名を初めて耳にしたという。
インターネットで私どもの館のホームページを開いたところ、画家に対する印象は私の心を満足させるものではあった。
決して過去の画家ではない。
しかし毎年膨大な公募展と、無数の個展で輩出される画家群像の中で、神田日活の魅力を信じ、画業を認識させていく作業は容易ではない。
今それを感じている。

神田日勝記念美術館長 菅 訓章