絵の聖地・鹿追
神田日勝の絵を見ていて思い出した。ぼくも小学生のころ、よく絵を描いた。ぼくは絵を描くのが好きだった。画用紙にクレヨンや水彩で春や秋の山や木や川を描いた中で、何度かぼくのうちで飼っている馬を描いたことがある。
アオという名のぺルシュロンのおとなしい農耕馬で、畑を耕してうちの7人の家族を養ってくれていた。ぼくはいつも馬の頭を左に尻を右にかいた。そういう描きかたしかできなかった。頭を右に描こうという発想はなかった。うちは貧乏なため、間もなくアオは馬喰に売られて行った。売られていくとき、アオが涙を流すのをぼくは見た。
二十五年後に出合った日勝の描く馬も、一、二を除いてほとんどが頭を左に描かれているうえ、眼が泣いているのを感じ、ぼくは日勝の無意識を支配しているものの正体を感じた気がした。
小説を書くぼくに絵のことはわからない。しかし同じもの創りとして作品に向かうときの精神のありようはわかるような気がしている。つまり小説も音楽も絵画も、わかるものではなく感じるものだと思うからだ
ぼくはここ十年ほどニューヨークのメトロポリタンはじめ、ロンドンのナショナルギャラリー、スペインのソフィア王妃美術センター、パリのルーブル、ミラノのサンタ・マリア・デレ・グラッイエ、フレンチェのウフィシィ、ローマのシヌティーナなどの美術館を見てきて感じたことは、神田日勝の絵がこれら美術館にある絵と同格だということだった。
ことしの春、日勝の絵の大きさを知るためにふたたびパリのオルセー美術館へミレーの「晩鐘」と「落穂拾い」を見に行ってきた。
思ったとおり神田日勝は日本のミレーだった。そして鹿追の神田日勝記念美術館が絵の聖地であるのを感じた。
小檜山博