作家の心情

 1965年1月(日勝27歳)、日勝は鹿追町内「ゆかり食堂」で初めての個展を開き、「ゴミ箱」が5万円で売れ、自分の絵が売れたことを驚きかつ喜ぶのである。同年3月にはNHK帯広放送局の農村番組で生活と絵画制作過程が紹介され、十勝全域に名が知られる。この頃から帯広の画家との交流が始まる。公募展では全道展・独立展などに連続入選を果たし、6月には帯広市内「弘文堂画廊」での個展が北海タイムスに掲載され、8月には帯広市内喫茶「珈琲園」で個展開催。9月には十勝日報の「秋のホープ」欄に作品と画歴が紹介されるなど、いよいよ名実ともにその存在は不動のものになっていく。北海タイムスの取材に対し「絵は兄の影響を受け、子どもの頃から好きだった。今後も農業を続けながら絵を描いて行きたい。絵筆を持つのはほとんど夜だが、これからも生活の歌をキャンバスにたたきつけてゆく。作品を荷造りし馬車で運送会社へ運ぶ時の期待と不安…これが心の張りとなっている」と話している。
 1966年~1967年の頃の作品から、それまでのモノクローム調の画面に色彩が現れ始め、1968年の十勝日報の「新しい開拓者」欄の中で日勝は、「長い間、単調な色彩の絵ばかり描いていたら強烈な色への欲望が抑えられなくなった」と述べ、その言葉は作品に顕著に現れていく。しかし、日勝はその2年と少し後に短い生涯を閉じている。
 寸暇を惜しみつつ完成した作品を馬の手綱を操りながらデコボコ道を進む日勝の心の内こそが、時代を経てもなお変わらぬ作家の心情と受け止める。
 過日、この頃の作品が5点東京都在住の佐野力氏より当館に長期寄託された。現存する少ない日勝作品の長期寄託は当館にとって何よりもの贈り物である。早速4月24日からの平成30年度第1期常設展の中で新収蔵品紹介として展示させていただいている。
 日勝の作品からは、短い人生の中で農業と向き合いながらの僅かな時間を惜しんで描かれた分、懸命に命が吹き込まれたような感覚が伝わってくる。
 今年も新たな視点での展示を多くの皆様に味わっていただきたい。

 神田日勝記念美術館館長  小 林  潤