テレカ
「テレカ」とは、言わずと知れた公衆電話で使用できるプリペイドカード(テレフォンカード)のことです。いや、今の若い人たちにはその存在も分からない人が多くなっていることに驚きを感じています。
ここで我が町の電話事情を振り返ってみます。神田日勝が病没した1970年頃の鹿追町の農村地域では農村集団電話(農集電話とも呼ばれていた)なるものがようやく開通しました。それまでの通信手段は手紙か電報以外にありませんでしたのでとても画期的な出来事でした。市街地の電話加入区域外の家庭にとっては貴重な通信手段でした。しかし、電話機は希望する各戸に設置されたのですが5軒から10軒で一回線でしたから10軒の家の誰かが使用している間中はその他の家からは電話がかけられないといった不便さがありました。ですから長電話は嫌われました(どの家の方が長電話なのかは分かりません)し、自宅の受話器を取って通話可能の音が聞こえたときは「ほっ」としてダイヤルを回したものです。
やがて通信網の整備と共に戸別の回線が使えるいわゆる家電(いえでん)が普及し、公衆電話も公的施設や人通りの多い市街地や電話ボックスなど用途に応じてピンク・赤・緑色が設置されるようになります。この緑色の電話に「テレカ」が使用できるのです。
当館がオープンした頃(1993年6月)はまだ公衆電話の全盛期?でしたから、開館と同時に日勝作品をあしらったテレフォンカードが美術館のグッズコーナーにも並べられました。こうして6種類(『馬(絶筆・未完)』・『室内風景』・『馬』・『画室A』・『人間A』・『雪の農場』)の「テレカ」が出現し、お客様にはお土産などに珍重され館の知名度上昇にも大いに役立ったのでした。しかし、一世を風靡した「テレカ」も携帯電話・スマートフォンの出現と共に瞬く間に通信の主役の座を明け渡したのです。
栄枯盛衰の時を辿る「テレカ」ですが、今では僅かにふるさと納税の返礼品や窓口でお求めになるお客様への対応グッズとなっています。
神田日勝記念美術館館長 小 林 潤