神田日勝記念美術館では神田日勝を研究したいという方へ資料を提供しています。
現在はまだ神田日勝の作品、素描、自筆原稿と展覧会記録(一部)のみですが将来できる限り充実させ、
学芸員、研究者、学生などの皆様に役立つようにしていきたいと考えています。
ここに掲載している原資料はすべて当美術館で保存・閲覧可能なものです。
必要があれば資料のご請求に応じることができますのでご活用ください。
神田日勝の多数の素描が残されています。 その素描の中には、日勝がどのような思索を重ねて作品を構想していったかをうかがわせるものが数多く含まれています。 その思索の過程と痕跡を素描と作品の対比を通して見ていただくことで理解も深まることと思います。
作品図版が掲載された図録・画集を紹介します。
記載順は書籍名・発行者・発行年月日・図版種別・本文内容。
北海道新聞社 1978(昭和53)年2月7日 カラー30点・モノクロ14点
神田日勝記念館 1993(平成5)年6月17日 カラー21点・モノクロ16点
北海道新聞社 1995(平成7)年10月20日 カラー50点・モノクロ29点
北海道新聞社 1999(平成11)年10月21日 カラー9点・モノクロ3点素描74点
神田日勝記念美術館 2019(平成31)年3月31日 カラー15点・モノクロ435点
北海道新聞社 2020(令和2)年4月予定
≪1968(昭和43)年5月8日≫ 第10回記念荒土会展目録 『美の開拓』
とにかく芸術家というものは激情的でケンカっぱやい。
グループとか組織とかいった高度な社会性を必要とする場所ではきわめて棲息しにくい不都合な人種だと私は常々思い込んでいた。
この度、荒土会が十回展を迎えるに当たり、会員諸氏の人格的円満さに、まず私は脱帽しなければならない羽目になってしまった。
もっとも、芸術家の集団などというものは、高次な芸術論の激突の場として絶えず思想的斗争をくりかえし、
誕生しては破滅し、破滅しては又生まれるといった状態が案外充実を意味するのかも知れないし、
一方なまぬるい妥協と芸術的怠慢がいたづらにグループの存在を助ける場合だってあり得る。
だから私は単純に荒土会が十歳の誕生日を迎えたからといって、そのことだけに敬意を表するつもりは毛頭ない。
私が心から脱帽したいのは、過去十年、グループを通じて、それぞれの芸術性を深めたという点にある。
会員個々がアトリエとグループ荒土との間を緊密な反復運動をくりかえしながら今日十歳の誕生日を迎えたことに私はひざまづくのである。
作家の創作意欲の累積の場として、創造的情熱の燃焼の場となってきたし、
一方十勝画壇に大きな指導的役割を果たしこの地域におけるイニシアチブを握ったといえよう。
私は、荒土会を十勝地方の美術教師のサークルとしてではなく、本格的な芸術家の集団としてみている。
教育者でありながら、一方で高度で強烈な表現者としての荒土会員諸氏が今後どのような問題に直面し、
どのような進展移行を見せるのか、私は側面者の一人として、大きな期待をもって鋭く観察していくつもりだ。
全道美術協会会員、独立美術協会会友
≪1969(昭和44年)6月18日≫ 北海タイムス掲載
利潤の追求と合理主義の徹底という現代社会の流れのなかで人間が真に主体性のある生き方をすることは、きわめてむずかしい時代になってきた。
今や人間の存在理由は、個々の内部にはなく巨大な社会のメカニズムを構成する一兵卒として、好むと好まざるとにかかわらず、
不安やあせりを内包したまま、無表情に一定のイズムに向かって押し流されてゆく。
そこには、主体的な個性とか抵抗は、全く許されない。現代コマーシャリズムの尺度に合わされた無個性な思考と、
生活を営む画一的な人々の悲しい行進なのだ。
そして自分がまぎれもなく、その悲しい群衆のなかのひとりであることを認識するとき、たまらない無力感に陥る。
われわれの創造活動は真の人間復活を目指した、現状況へのささやかな抵抗かもしれない。
いや抵抗というよりは、むなしいヒステリックなあがきとでもいうべきか。あの白いキャンバスは己の心の内側をのぞきこむ場所であり、
己の卑小さを気づき絶望にうちひしがれる場所でもあるのだ。
だから私にとってキャンバスは、絶望的に広く、不気味なまでに深い不思議な空間に思えてならない。
私はこの不思議な空間を通して、社会の実態を見つめ、人間の本質を考え、己の俗悪さを分析してゆきたい。
己の卑小さをトコトン知るところから、我々の創造活動は出発するのだ。あの真っ白なキャンバスの上にたしかな生命の痕跡を残したい。
≪1970(昭和45年)7月27日≫
結局、どういう作品が生まれるかは、どういう生き方をするかにかかっている。どう生きるか、の指針を描くことを通して模索したい。
どう生きるか、と、どう描くかの終わりのない思考のいたちごっこが私の生活の骨組みなのだ。
機械文明のあおりを受けて人々が既製品的生活を強いられているなかで、クリエイティブな我々の仕事は既製品的人生へのささやかな反逆かもしれない。
≪1967年1月6日 十勝日報掲載≫
北方の原野十勝が、真にその個性を発揮する季節といえば、いまごろかもしれない。
なまり色のゆううつな空が西から東へゆったりとした動きを見せ、粉雪を躍らせる狩勝おろしが、一日中カラ松の林をさわがせる。
ホワイトグレー一色に凍てついた野づらは、ゾッとするほど美しい。
このさむざむとした、だだっぴろい空間が、十勝農民の生きる場所だ。
41年十勝の秋は実らずに終ってしまった。冷害という言葉がさまざまな暗い意味をもって農民をふさぎこませてしまう。
根っこのような、いかつい手の表情には、生活の苦闘を如実に物語るものがある。冬は農民が野良から解放され、ろばたにうずくまりながら、わが人生をあれこれ思考する季節だ。
鈍重なまでにたくましく、質実な十勝の農民をはぐくむのものは、荒けずりな北方の風土かも知れない。十勝の冬はきびしい。
≪1969年3月 帯広三条高校新聞寄稿≫
正直なところ『私の人生観』などというテーマを、大上段に構えて開き直られると、私はもうそれだけでゾーッとしてしまう。
勝つ見込みのない相手に、喧嘩を売られたみたいな、絶望的な恐怖を感じてしまう。それはヘビに睨まれたカエルのようなとでも言おうか、膝の力がスーッと抜けていくような、どうにもならない絶望感に落ち込むのだ。だいいち私のような弁舌にも文才にも恵まれない者にとっては、人生観とか、芸術論とかを言語で他人に伝達することは、ほとんど不可能なことで、言葉というものが空虚で空々しく、不便なものに思えてならないからだ。
いったい、短い文章や短時間での対話の中で、本当に人生観などという、途方もなく大きくとめどなく深い問題を語り尽くすことができるだろうか。
それに正直言って私はこれこそ私の人生観なり、と大見得をきって主張できる確立された理念を持っていない。だから私は、まずこの点で挫折してしまう。つい数ヶ月前にはあれほど確信が持てた理念が、今はまるっきり色あせて思えたりすることが、よくある。いやそれどころではない。昨夜、寝床のなかで真剣に思い詰めたことが、ほんの数時間後の朝の光の中で、思い起こしてみると、なんと馬鹿馬鹿しい非現実的な幻想にすぎなかったことに、気づいたりするのだ。
私の思考は、まことに信用できない、だからある時、ふとこれが自分の人生観か……などと思う瞬間があっても、すぐそのあとで例の幻影かと、いった具合に思念はたちまち崩壊してしまう。もともと人生観などというものは、言葉という表現手段で明快に語りつくせるものではないように、私は思えてならない。
あなたの人生観を聞かせて下さいと問われて、即座に、しかも自身ありげにペラペレと、たて板に水を流すがごとく、あざやかに答える者がいたら、私は信用する気になれない。無責任なでまかせか、あるいは一度として、自分を疑ったことのない、救い難い楽天家であろう。ことに、われわれのような尻の青さの抜けきらない若者が早々と悟りめいた人生観を作り、このうえで、ものわかりのよさそうな顔をして、平安に生きている老人じみた若者がいたら、私はたぶん吐き気をもよおすだろう。明快な人生感など、ないのが自然だ。迷い、混乱、不安、矛盾、挫折感さまざまな思考が幾重にも、複雑にからみあった精神の状態、確立された明快な哲学とは、程遠い魂の内側、これがわれわれ青年の健康な姿だと私は思う。
八百屋のキャベツは時として値段が二倍にも三倍にも変わる。一個のキャベツの実質的内容本質的価値は周囲の諸現象の如何を問わず変わりない。だが…世俗的価値観は値段の昇降という具体的現象によって、高級品にもなれば下等物にもなってしまうのだ。
これに類似した価値判断が社会には実に無数に氾濫していて、どれ程人間を傷つけ、人間を歪めていることか。何が本質で何が現象かと言うことの思考を忘れると偽り者が通用してしまうのだ。私は現実主義を否定する。
美空ひばりの芸は立派かもしれない。しかし美空ひばりの鼻糞は私の鼻糞とその無価値さにおいて全く同等である。だが…権威を信じ名誉を崇拝する者にとっては美空ひばりの鼻糞にまで価値を感じるらしい。サイン会などと称して有名人が紙切れに自分の氏名をぞんざいな文字で書きなぐり、これを民衆にバラまく。これをまた、宝物のように額縁に入れて部屋にかざって、ありがたがっている人間をよく見ることがある。
彼らは、美空ひばりの鼻糞をありがたがる仲間なのだ。私は権威主義を否定する。権威主義や現象主義は、ものの本質を見極める目をふさいでしまう。何が本物で、何が偽りものなのかを見誤らないよう心がけたいと私は思っている。だがこれも実はあてにならない。私は権威主義を否定するなどと、見得をきっておきながら、展覧会などで予想以上の成績を得ると、まるで情けないほど、分別なく喜んでしまったりするのだ。
表面の現象に動揺してはならないなどと、自身に言い聞かせながら一方では、わずかばかりの金もうけをして、他愛なく喜んでみたり、美人に微笑みかけられるとそれが世辞笑いなのを知りつつ、世界がバラ色に思えたり……まことに人間(自分)は信じるに足りない。限りない矛盾をわれわれは平気で日常の生活の中で侵しているのだ。終始一貫した人生観などというものが、われわれ凡俗な人間に、はたしてあるものだろうか。不安だ。信用するわけにはゆかない。
人生観などという問題は、思考するもので語るものではないような気がする。
語れば語るほど、空々しさとうしろめたさが、はね返ってくるだけだからだ、人間は矛盾だらけだ。
≪1970年5月30日放送 NHK土曜随想≫
然別湖の春はおそい。
四月 ・・・・・ 直線的な東大雪の山々をバックにホワイトグレー一色に静まり返っていた然別湖も分厚い氷の下で、かすかな春への胎動を始める。
釣り人達の黒影がだだっぴろい雪原と化した湖上のそこここに見られるようになるのも此の季節である。
かたくなに凍てついた氷原に釣り人達が打ち込むノミの響きがカーン・カーンと峰々に跳ね返り静寂そのものの然別湖も否応なしに深い冬の眠りからゆり起されてしまう。
静寂な自然のたたずまいが人間の手によっておかされる残忍なまでにいたましい瞬間である。あけられた氷の穴に釣り糸をおろす。冷え込む湖上にうずくまり、からだの中の全神経をしなやかな竿の先に集中させニジ色に光るオショロコマの幻を網膜の底に描きながら黙々と待ち続ける。
緊張した時間が流れる。そこには時間の観念もなければ人間社会のルールもない。野生の男と一匹の小魚の原始的単純明快な関係があるだけだ。そう快な孤独感とでも言おうか。
灰色によどんだ都会の空、青白い蛍光灯の光とコンクリートの冷たさ、利潤追求、物質優先、等々、社会が非人間的な方向へ人々を押し流していく中で青白く衰弱した現代の男達が小さな美しいオショロコマと対決した時、それはたくましい一匹の野生の雄になる時なのだ。
蛍光灯の光にてらしだされた無表情な現代人の体内の奥深く、縄文の昔から脈々と続いた野生への躍動、狩猟への郷愁を発見出来る瞬間である。
かつて神秘の湖、原始の秘境などと言われた然別湖、だが北洋の氷原をおおうあざらしの大群のような然別湖の釣り人達の黒影、蜂の巣のようにおかされた氷の湖上を見るとき、それはもはや神秘でもなければ、原始でもない。
そこには都会的毒素をかかえこんだ男達がひとにぎりの野生を取りもどそうとして集まる悲しい場所となってしまった。
かつての神秘の湖、然別湖・・・・・人間社会と大自然との対立関係を、如実に物語る象徴的な風景となってしまったのである。
≪1970(昭和45)年6月30日 全道展25周年記念誌≫
狩勝の峠を越えた、帯広、十勝はかつての内陸の平坦な土地柄を反映してか、画壇においても整然とした道展的秩序の上に平安無事な幾年かが過ぎた。
しかし近年、そうした平安さのなかに微かな戦乱の様相が見え始めたかと思う間もなく、またたくうちに暗雲におおわれ、今や帯広画壇は本格的な戦国の世を迎えてしまった。
この地に君臨する野望旺盛な絵かき達は一国一城の主としての気骨を持ち、向気だけは滅法強い。自分を中心にして画壇が動いているのだとそれぞれが信じ込み断じて他を許さない。上下の関係などは全然通用しないし、各々が大将の気位とチャンピョンとしての強気さとを持ち合わせているから愉快だ。会員だの会友だの一般出品者だのと古めかしい画壇的秩序はもはや完全に崩壊し、そこには傲慢な強気の激突だけがうずまいている。
絵かき達にとっては極めて棲息しやすい場所になって来た。ある時は、うらぶれたやきとり屋の片隅で安酒をくらいながら、又ある時はタバコの煙と騒々しいレコードの喫茶店にたむろして、自分以外のすべての芸術をなじるのである。なじられた相手は額に青すじを走らせもっと口ぎたなくやりかえす。興奮のあまりコーヒー茶碗にタバコの吸殻をはたき落とす。大袈裟なゼスチャーはカウンターの安酒をひっくり返す、一張羅の背広に酒がぶっかかる、恥も外聞もなくあわててくちびるをおしあてこれを吸い取るあられもない姿…。
こうして新しい帯広的ムードは喧々囂々としたなかで徐々に熱していくのである。こうしたなかでの全道展作家達…。
野獣のようなファイター園部信二。これとは対照的な女性のような繊細な感覚とひそやかさで執拗にキャンパスに食下がる岡沼秀雄。よきパパよき亭主天真爛漫な社交家渡辺禎祥。めったに顔をみせずに無言のうちににらみをきかす富谷道信の不気味な存在。闘志を秘めた知的な男霜村秀靖。日本人ばなれのした風貌と自由奔放な行動力を持つ村元俊郎。常に人間内部にテーマを探ろうとする真面目で素直なおおとひでお。典型的な素浪人はだの米山将治は数々の話題をこの地区に投げかける反逆児、自他共にアウトサイダーを認める貴重な存在。教員生活二年目を迎えた若者斉藤健昭はこのところがむしゃらに百五十号の大作に取り組んで、その若武者ぶりは壮快だ。
本別の辺地でひとり黙々と自我の世界を掘り下げる齊藤隆博は非常にシャープな感覚でこの地区の異色作家として注目されている。最後に筆者神田日勝だがこのところ自身の力の限界を知ってか全く生気がない、にもかかわらず自尊心と傲慢さだけは人並み以上に残っているから始末が悪い、没落寸前の侍の哀れさとでも言うべきか。
以上誇り高き全道展帯広地区の武将たちが道展の諸作家達と入り乱れて今後どのように帯広が段を推進していくことか油断も隙もあったものではない。
とりわけ全道展巡回展を目前に控えて、それはもうほとんど殺気がみなぎっている。
展覧会名、会期、会場、主催、出品作品、関連事業の順。
作品数の多い展覧会で目録に作品番号のあるものはその番号を記した。
展覧会名のうち回数を示す漢数字は算用数字に改め、団体展の名称・会場等の表記を適宜統一した。
原則として当時の出品目録(目録に準ずるものも含む)によったが、目録に記載のないものや不十分なもの、目録未確認のもの、
目録の刊行されていないものなどはそのほかの資料によった。
作品名は「荒野に燃ゆ 神田日勝の世界」展(1978(昭和53)年)の折に統一されたものを記載したが、
一部、作品名と作品が一致しない場合がある。
展覧会名 | 会期、会場、主催、出品作品、関連事業 |
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第31回平原社展 | 1956(昭和31)年9月19日〜26日、帯広・十勝会館、平原社美術協会、【痩馬】(朝日奨励賞) |
第32回平原社展 | 1957(昭和32)年10月2日〜26日、帯広・十勝会館、平原社美術協会、【馬】(平原社賞) |
第15回全道展 | 1960(昭和35)年6月28日〜7月3日、札幌・丸井今井、全道美術協会・北海道新聞社、【家】 |
第16回全道展 | 1961(昭和36)年6月6日〜11日、札幌・丸井今井、全道美術協会・北海道新聞社、【ゴミ箱】(知事賞) |
"1961年各展受賞者エントリー"北海道新人作家選抜美術展 | 1962(昭和37)年4月1日〜10日、札幌・HBCギャラリー、北海道放送、【ゴミ箱】 |
第17回全道展 | 1962(昭和37)年6月5日〜10日、札幌・丸井今井、全道美術協会・北海道新聞社、【人】 |
第1回帯広美術協会展 | 1963(昭和38)年1月9日〜13日、帯広・藤丸、帯広美術協会、【板・足・頭】(出品目録は【人A】)【人B】 |
第18回全道展 | 1963(昭和38)年5月28日〜6月2日、札幌・丸井今井、全道美術協会・北海道新聞社、【板・足・頭】(出品目録は【三人】) |
第2回帯広美術協会展 | 1964(昭和39)年5月2日〜5日、帯広市民会館、帯広美術協会、【作品】 |
第19回全道展 | 1964(昭和39)年5月26日〜31日、札幌・丸井今井、全道美術協会・北海道新聞社、【飯場の風景】 |
第32回独立展 | 1964(昭和39)年10月12日〜30日、東京都美術館、独立美術協会、【一人】【板・足・頭】(出品目録は【三人】) |
第4回独立選抜展 | 1965(昭和40)年5月17日〜23日、東京都美術館、独立美術協会、【飯場の風景】 |
第20回全道展 | 1965(昭和40)年6月1日〜6日、札幌・丸井今井、全道美術協会・北海道新聞社、【馬】 |
第33回独立展 | 1965(昭和40)年10月12日〜30日、東京都美術館、独立美術協会、【馬】【死馬】 |
第5回独立選抜展 | 1966(昭和41)年5月17日〜23日、東京都美術館、独立美術協会、【牛】 |
神田日勝油絵個展 | 1966(昭和41)年6月16日〜30日、帯広・弘文堂画廊、【牛】他14点 |
第21回全道展 | 1966(昭和41)年6月21日〜26日、札幌・丸井今井、全道美術協会・北海道新聞社、【静物】(会友賞・会員推挙) |
第34回独立展 | 1966(昭和41)年10月12日〜30日、東京都美術館、独立美術協会、【画室A】 |
全十勝美術展 | 1967(昭和42)年2月22日〜26日、帯広市民会館ギャラリー、帯広市民劇場・帯広市教育委員会、【画室A】【画室B】 |
神田日勝個展 | 1967(昭和42)年3月25日〜4月5日、帯広・弘文堂画廊 |
第6回独立選抜展 | 1967(昭和42)年5月17日〜23日、東京都美術館、独立美術協会、【画室C】 |
第22回全道展 | 1967(昭和42)年5月30日〜6月4日、札幌・丸井今井、全道美術協会・北海道新聞社、【画室D】(出品目録は【画室】) |
十勝・帯広地区全道展作家展 | 1967(昭和42)年7月15日〜21日、帯広・うけかわギャラリー |
第35回独立展 | 1967(昭和42)年10月12日〜30日、東京都美術館、独立美術協会、【画室E】(出品目録は【画室A】) |
第7回独立選抜展 | 1968(昭和43)年5月17日〜23日、東京都美術館、独立美術協会、【室内風景】 |
第43回平原社展 | 1968(昭和43)年6月26日〜30日、帯広市民会館、平原社美術協会、【人と牛A】 |
第23回全道展 | 1968(昭和43)年7月9日〜14日、札幌・丸井今井、全道美術協会・北海道新聞社、【人と牛D】(出品目録は【人と牛】) |
帯広・十勝地区全道展作家展 | 1968(昭和43)年8月13日〜24日、帯広・うけかわギャラリー、【晴れた日の風景】 |
第36回独立展 | 1968(昭和43)年10月12日〜30日、東京都美術館、独立美術協会、【人と牛C】(出品目録は【人と牛B】) |
全十勝美術展 | 1968(昭和43)年10月16日〜19日、帯広市民会館、帯広市民劇場・帯広市教育委員会、【画室】 |
第1回北海道秀作美術展 | 1968(昭和43)年10月18日〜31日、北海道立美術館、北海道立美術館、【人と牛D】(出品目録では【人と牛C】) |
神田日勝個展 |
1969(昭和44)年1月15日〜21日、帯広・うけかわギャラリー 1【人と牛D】、2【人と牛B】、3【人と牛C】、4【人と牛A】、5【晴れた日の風景】、 6【室内風景】、7【画室C 】、8【画室B】、9【画室A】、10【画室D】、 11【かべと顔】、12【静物】、13【牛】、14【死馬】、15【馬】、 16【板・足・頭】、17【一人】、18【ゴミ箱】、19【飯場の風景】、20【静物】、 21【静物A】、22【静物B】、23【静物C】、24【風景A】、25【風景B】、 26【風景】 |
第8回独立選抜展 | 1969(昭和44)年5月17日〜23日、東京都美術館、独立美術協会、【壁と顔】(出品目録は【カベと顔】) |
第44回平原社展 | 1969(昭和44)年5月28日〜6月1日、帯広市民会館、帯広市民会館・平原社美術協会、【作品】 |
第24回全道展 | 1969(昭和44)年7月20日〜27日、札幌・北海道新聞社7階ホール、全道美術協会・北海道新聞社、【作品B】 |
十勝・帯広地区全道展作家展 | 1969(昭和44)年8月8日〜14日、帯広・うけかわギャラリー、【作品C】【作品D】 |
第37回独立展 | 1969(昭和44)年10月12日〜30日、東京都美術館、独立美術協会、【人間B】 |
全十勝美術展 | 1969(昭和44)年10月17日〜20日、帯広市民会館、帯広市民劇場・帯広市教育委員会、【壁と顔】 |
第25回全道展 |
1970(昭和45)年 6月30日〜7月5日、札幌・丸井今井 7月8日〜15日、旭川・まるせんデパート 7月17日〜19日、美唄市民会館 7月27日〜8月2日帯広市民会館 8月5日〜11日、釧路市公民館 8月14日〜18日、苫小牧市民会館 8月23日〜29日、浦河福祉センター 9月12日〜18日、静内公民館 全道美術協会・北海道新聞社 【人間B】【室内風景】 |
展覧会名 | 期日/内容 |
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神田日勝と1960年代の美術 北の同時代者たち |
1994・2・22〜1994・3・13 神田日勝と同時代に活動した道内芸術家の作品集成 |
神田日勝と1960年代の美術 寺島春雄 |
1997・3・4〜1997・3・30 神田日勝に影響を与えた十勝洋画壇の先達寺島春雄の画業を紹介 |
木田金次郎と神田日勝 海と大地の邂逅 |
1997・10・1〜1997・12.・21 木田金次郎美術館と同時開催。相互の美術館所蔵作品の半数を交換した作品展 |
練馬区立美術館所蔵作品展 神田日勝の風景画 |
1998・1・28〜1998・3・22 練馬区立美術館の代表作と個人蔵の神田日勝風景展 |
室内風景への軌跡 開舘5周年記念展 |
1998・6・16〜1998・9・13 室内風景にいたる神田日勝の画業を鳥瞰 |
風土への視線 |
1999・2・2〜1999・4・21 神田日勝作品の風土性に焦点を当て、道内の画家を紹介 |
人間の情景 北に生きる人々 |
2001・12・18〜2002・2・3 北の風土に生きる人間像を描いた作品を道内美術館の協力を得て紹介 |
ぼくはここにいる 開館10周年記念展 |
2003・8・23〜2003・10・30 室内風景を中心に神田日勝を照射 |
時の深き淵から 神田一明の世界 |
2003・11・5〜2003・11・30 神田日勝の実兄一明の代表作品を紹介 |
さえぎられた世界 |
2004・11・16〜2005・1・16 神田日勝作品の空間に焦点をあて、他の作家の作品紹介 |
徳丸滋の世界 |
2005・11・8〜2005・12・11 画友徳丸滋の画業と神田日勝からの私信を公開 |
海と大地と空と |
2006・11・7〜2006・12・3 網走市立美術館と神田日勝記念美術館の共同企画、 北海道の海、大地、空をテーマとした作品により構成 |