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神田日勝記念美術館 学芸員コラム

ぼくと神田日勝

2007/04/01

 十勝の鹿追町にある神田日勝記念館の仕事をさせていただきだしてから3年半になる。画家の美術館の館長など、小説を書くぼくには似合いそうもないが、しかしこれがとても楽しいのだ。
 たぶん日勝が農民出身だったことと、ぼくも貧農の出身、生まれが同じ1937年と境遇や考え方がとても似ているせいかもしれない。
 一応は絵の見方も勉強しなければと、ここ十年くらいの間に国内の美術館を初め、アメリカ、イタリア、スペイン、フランスなどの美術館をめぐり歩いて名画も見てきた。そしてわかったことは、絵はわかるものではなく感じるものだということだった。
 その体験をもとに、神田日勝の十枚ほどの絵を、ぼくが感じたままの感動を文章にしてみた。もちろん絵の批評家や学芸員ら専門家とは、まったく違った見方になったが、日勝の絵を見ることであぶり出された、ぼく自身の人生が文章の中に浮き出てくるという幸運に恵まれた。
 たとえば日勝の『馬』という絵を見て感じて書いた文章は次のものだ。
 「ぼくは七歳のとき、うちの馬が苦しんで暴れながら病死するのを見た。こき使われて痩せ細り、あばら骨が浮き出ていた。村人が死んだ馬を食べようと集まってきたとき、母は死んだ馬の首にしがみつき『食わせないぞ、やめてくれ』と泣き叫んだ。母はその馬を家の前の丘の林に埋め、毎日、水を供えた。その馬と日勝が描いたこの、目が黒い穴になっている骸骨みたいな痩せ馬がそっくりなのだ。馬は開拓農民の運命を握っていた。」
 このほか十枚近くの日勝の絵に、ぼくが感じたことを書いた。一枚の絵に二百字から三百字の文になった。

平成十七年十二月十三日から翌年四月二十三日までの四カ月半ほどの間、神田日勝記念美術館で、それぞれの絵とぼくの文章が展示された。同時に原稿用紙に書いたぼくの直筆の原稿用紙も展示され、万年筆で書いた下手な字を見られるのは恥かしかった。直筆でぼくの日勝の絵に対する情熱が伝わるのであれば、嬉しいことでもある。なお、この文章はぼくの「全集」に収録されているのでぜひ見てほしい。

小檜山博

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