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神田日勝記念美術館 学芸員コラム

なつぞらに生きた神田日勝

2018/05/30

 昭和20年8月14日、戦火を逃れ途中空襲に遭遇しながらも十勝のなつぞらの下に神田家は辿り着いた。疎開地を鹿追町に指定され、廃品同様の家財道具を携えた一家は現在の鹿追東部の仮宿舎に身を寄せた。3か月後、両親と子ども5人の一家は近所の住民の力を借りて沢の傾斜地を利用し燕麦がらで葺いた拝み小屋のていをなす半地下式の住居を建てた。
 開拓者として割り当てられた5町の土地は防風林の土地であったが、直径1mもある大木の切り株があちこちに残る畑とは名ばかりの劣悪な土地であった。さらに着の身着のままで東京からの疎開者となった一家を待ち受けていたのは、日々の暮らしにも事欠く開拓者の辛く厳しい日常だった。
 昭和12年生まれの日勝少年は笹川小学校2学年に編入した。都会育ちでおとなしく絵の好きな日勝は皆に好かれていた。やがて中学生となり美術部に投じたが、日勝の卓抜した絵の才能は常に皆の注目を集めた。
 3歳年上の兄は帯広の高校から東京藝術大学へと進み、開拓農家の仕事は「俺は農業が好きだが勉強は得意ではないから、俺が農業を継ぐ」と日勝が継いだ。
 疎開から7年、鹿追のなつぞらの下に、開拓農家神田家の二代目が誕生した。
 スポーツに熱中した日勝は、陸上競技では三段跳びや幅跳びを好み、水泳に登山、相撲も滅法強く、青年団活動では役員を歴任し演劇でも主役級をつとめている。何よりも絵を描くことが好きで、兄から油絵の手ほどきを受けたが、ほぼ独学で重労働の合間に作品制作に打ち込み、瞬く間に十勝管内外の衆目を集めるところとなった。日勝の作品からは生きることへの強い主張が感じられ、人々の心を引き寄せていった。
 しかし、酪農を取り入れ軌道に乗りつつあった農業と展覧会準備などの過密スケジュールをこなす日勝を病魔が襲った。昭和45年8月25日、鹿追のなつぞらの下に日勝は惜しまれつつ32歳8か月の短い人生の幕を閉じた。
 苦楽を共にした馬の絵をベニヤ板に描き続け、晩年に書き残した《馬(絶筆・未完)》は、日勝独特の描き進み方を明示する未完という名の完成作品とも言えるものだ。「生活の歌をキャンバスに叩きつけていく」と生き様を描きつつなつぞらに散った日勝の作品は、今なお多くのファンを魅了し続けている。
 ちまたでは、平成31年4月放送予定NHK朝の連続テレビ小説が話題になっている。間もなく十勝管内の町でロケが行われようとしているが、主人公の「なつ」(広瀬すず)がベニヤ板に素敵な馬の絵を描く少年「山田天陽」(吉沢亮)と出会うストーリー。愛馬と生き、馬を描き続けた神田日勝と重なって思わず次の朝ドラを応援したくなっているのは、一人私だけではないように思う。
 この機会に改めて戦後十勝の青年画家、神田日勝作品のご鑑賞を。


神田日勝記念美術館館長  小 林  潤

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