「その夜きらめく星を眺めながら、生きることとは何なのか、これからどうなるのかと、誰に語ることもなく煩悶していたことを思い出される。」8月15日北海道新聞の読者の声に載っていた旭川市Wさん(86歳)の投書です。恐らく当時同じように思い、苦い経験を多くの人々が持ったであろうと戦後生まれの私には推測するしかありません。
神田日勝も敗戦目前の3月10日東京大空襲を目の当たりにし、戦禍を逃れ拓北農兵隊として渡道を決めた両親に従った。途中7月28日深夜、大空襲を受けた青森で足止めされ、鹿追の地を踏んだのは敗戦前日の8月14日のことでした。
こうした体験が少年日勝(当時8歳)にどんな影響を与えたのだろうか?前述した旭川氏のWさんのように、どう生きるのか、生命とは、と煩悶していたに違いないと思うのです。誰もがそうであったように。
日勝は「結局どういう作品が生まれるかは、どういう生き方をするかにかかっている。どう生きるか、の指針を描くことを通して模索したい。」と言っていますが、自らの戦争体験が後の神田日勝の生きる骨格を育んでいたのかもしれません。神田日勝の命日に因んだ馬耕忌(今年は8月23日)でそのこともあわせ考えたいと思います。(友の会事務局長 武田耕次)
