神田日勝記念美術館 ブログ

2010/01/18

生命(いのち)を考える一枚の絵「死馬」

カテゴリー: ブログ — admin @ 15:45

最近、生命(いのち)があまりにも軽んじられている気がしてならない。「今年の自殺者は3万○千人などと数値化され、無機質化されている。次第に自分の感覚さえ何万人という死に無感覚に陥ってしまう。
いま神田日勝記念美術館では「生命(いのち)」をテーマに常設展が開かれている。良い機会なので僕もいのちについて考えてみる事にした。
神田日勝は馬をモチーフに多くの作品を遺した。しかし彼は馬具を身につけた馬は一度も描かなかった。否、描けなかったのだろう、と僕は思う。友であり最大の働き手である愛馬に、普段は酷使している愛馬に絵の中でまで馬具を付けるには忍びなかったのかもしれない。日勝の作品の一つに「死馬」(1965年北海道近代美術館収蔵)がある。死んだ直後であろうか。まだ毛並みは濡れている。閉じられた目にはうっすらと涙の痕さえ描かれ、石畳の上に横たえられている。愛馬を石畳に横たえたのも石棺に納めたかのように思えてならない。それほど彼にとって愛馬の死は重かったのであろう。愛馬の死の現実とそれを葬る荘厳さがうかがえるのであるが、現代社会のいかにも軽んじられる死に対して、その対極に神田日勝の「死馬」があるような気がしてならない。神田日勝の絵の世界はいまの世にいのちの尊さ、死の尊厳を強烈に伝えている。

2010/01/06

うみがめと少年と神田日勝

カテゴリー: ブログ — admin @ 11:56

あけましておめでとうございます。
昨年暮れ、スタジオジプリの美術監督をされている男鹿和夫さんの展覧会「うみがめと少年」、吉永小百合さんと男鹿さんのコラボレーションで構成した「第2楽章ーヒロシマ・ナガサキから」の展覧会を神田日勝記念美術館で開催しました。この季節では普段閑散としている館がこの展覧会開催中は多くの人に見ていただく事ができました。
昨年アメリカのオバマ大統領がプラハで核兵器廃絶を目指す演説を行い、世界中から、特にヒロシマ・ナガサキから歓迎と期待の声が上がりました。神田日勝記念美術館の今回の企画がこれに呼応した訳ではなかったのですが、たまたま世界の動きと重なったことになったのです。これまでも神田日勝記念美術館では石川文洋氏の「戦争と子どもたち」(写真展)や戦没画学生の祈りの絵展(無言館所蔵)なども行ってきましたが、殊更「平和」問題を取り上げてきたのではないけれど、もともと神田日勝が1937年生まれで日本が満州侵略から全面的に日中戦争へと侵略を拡大した年に生まれ、生誕の日も12月8日、真珠湾攻撃世界戦争開始の日、そして戦禍をくぐり抜けながら鹿追町についた日が日本の敗戦の前日8月14日ということから、そして何よりも神田日勝自身の絵画制作への姿勢と彼の生きる姿勢の中に無意識にであったであろうが権力への抵抗、働くものへの共感が一貫して流れていると感じられることが私たち展覧会を企画する側のものにとってこうした企画も真正面から取り上げてきたと思っているのです。今回の縁で2010年の新たな企画として8月9日から「ベンシャーンと第5福竜丸」(仮称)を計画しています。本決まりになればまた詳しくお知らせしたいと思います。

2009/09/17

新政権の文化行政に期待

カテゴリー: ブログ — 管理人 @ 10:58

昨日、鳩山新政権が誕生した。選挙を通じ政権が交代したのは日本の歴史上初めての事だ。どんな政治、どんな日本へと変わっていくのか期待が膨らむ。と同時に、まだこの政権が何を目指すのかがわからなく、不安が少なからずあるのは仕方がない事と思う。昨日(9月16日)夜、鳩山総理の記者会見や閣僚になった人たちの表情をテレビで見ていた。自信に溢れ、さあこれから!という意気込み、引き締まった表情が清々しかった。
さて、新しい内閣は文化の振興にどのように取り組んでいくのだろうか。もちろん政権が変わったからといって、すぐさま何でも期待するのは早計であり、いますぐの変化よりも先を見据えた着実な取組に期待しているのであるが、ただ、20世紀末あれほど「新しい世紀は心の時代」と多くの識者が声高に叫んでいたにも拘らず、21世紀の扉が開かれた途端に新自由主義の名の下にすべてが自己責任とされ、弱肉強食の時代へと変化してしまった。もちろん文化などどこかへ吹き飛んでしまった。このままでいいのだろうかとの思いは常に心の中にあった。

時間がかかってもいいから30年、50年先の日本の文化、世界に誇れる文化を地道に築き上げていくしっかりとした基礎を築いてほしいと願うばかりである。先進国といわれる国々の文化予算を比較して見ると、誠に寂しい状況にある。国家予算に対する比率で見ると我が国は0.13%。フランスの0.86%は別格としても、ドイツ、イギリスの半分程度でしかない。(06年度比較)また、お隣の韓国では0.93%と近年非常に力を入れている。確かにこれだけ傷めつけられた社会保障や生きるためのセイフティーネットの修復を願う国民の切実な声が新しい政権を産み出したといえるだろう。その声に応えつつも将来を見据えた文化のに期待するものである。

2009/08/29

神田ミサ子さんのエッセーを読んで

カテゴリー: ブログ — 管理人 @ 11:13

日勝の奥様であった神田ミサ子さんが「自分をみがく」というエッセー集を出版された。(美研センター発行)その中に「日勝と私」という一文がある。神田日勝が開拓農民という宿命を背負い生きた中から培われていったもの、そしてそこから生まれた彼の絵の魂を垣間見ることができた気がする。
北海道農民は昔は誰もが開拓も農民であったが、昭和も中頃になると明治、大正時代からの農家と敗戦間際の開拓農民とでは大きな格差があったことは容易にうかがえる。そのエッセーの一節に馬鈴薯の種イモが予定より足りなくって、嫁にきたばかりのミサ子さんが「近所の農家に(種イモがあまっていないか)聞いてくる」といったらいきなり姑に「そんな馬鹿な事やめなさい!」と怒られた。と書いている。開拓農民としての「意地」が伝わってくる。そんな環境の中にいた日勝はその意地を彼の絵に描き込んだのだろうか。「痩せ馬」をはじめ彼の生涯テーマであった馬や飯場の風景など働くものたちへの共感は格差に苦しむ現代社会の投影として僕には感じられるのである。その一方で、「人と牛」「晴れた日の風景」「人」シリーズなどの色彩豊かに描かれた絵の中に家族を持つことができた喜びや希望に溢れ、家族ができ自由に絵を描かせてくれるという日勝の喜びが伝わってくる。同時にミサ子さんにとっても、少女時代からの悩み—自分は何のために生きているのか?—の答えを日勝とともに生きる中に見いだしている。たった8年半で幕はおりてしまったが。

2009/08/17

馬耕忌

カテゴリー: ブログ — タグ: — 管理人 @ 09:29

「その夜きらめく星を眺めながら、生きることとは何なのか、これからどうなるのかと、誰に語ることもなく煩悶していたことを思い出される。」8月15日北海道新聞の読者の声に載っていた旭川市Wさん(86歳)の投書です。恐らく当時同じように思い、苦い経験を多くの人々が持ったであろうと戦後生まれの私には推測するしかありません。
神田日勝も敗戦目前の3月10日東京大空襲を目の当たりにし、戦禍を逃れ拓北農兵隊として渡道を決めた両親に従った。途中7月28日深夜、大空襲を受けた青森で足止めされ、鹿追の地を踏んだのは敗戦前日の8月14日のことでした。
こうした体験が少年日勝(当時8歳)にどんな影響を与えたのだろうか?前述した旭川氏のWさんのように、どう生きるのか、生命とは、と煩悶していたに違いないと思うのです。誰もがそうであったように。
日勝は「結局どういう作品が生まれるかは、どういう生き方をするかにかかっている。どう生きるか、の指針を描くことを通して模索したい。」と言っていますが、自らの戦争体験が後の神田日勝の生きる骨格を育んでいたのかもしれません。神田日勝の命日に因んだ馬耕忌(今年は8月23日)でそのこともあわせ考えたいと思います。(友の会事務局長 武田耕次)

2009/08/13

絵を見る楽しみ

カテゴリー: ブログ — 管理人 @ 14:07

最近、中野中(美術評論家)氏のエッセー集「なかのなかまで」(全日本美術新聞社)を読みました。その一つ「絵を見る楽しみ」という一文があります。中野氏はその中で「作家の主張が明確にあるもの、何を言いたいのか、何を描きたいのか、それが伝わってくる作品を結果的に選んでいるようだ。…描き手に明確な思い、主張、思想等があれば、うまいへたを越えて観る側に伝わってくるオーラは必ずある。」と書いています。
神田日勝は「結局どういう作品が生まれるかは、どういう生き方をするかにかかっている。どう生きるのか、の指針を描くことを通して模索したい。」と自身の絵を描く姿勢について語っています。(1970年25周年全道展帯広巡回展目録)
神田日勝は1945年戦禍を逃れ、鹿追の地に開拓農民として生きる運命を受け入れたわけですが、無意識の中にそうした時代の中でどう生きるのか真剣に自己と向き合う姿勢が培われていたのかもしれません。日勝作品からは、中野中氏の言葉を借りれば、神田日勝の生き様を画面に描ききった作品が放つオーラを感じるのですが、中野中氏の目にはどのように映るのだろうか?(友の会事務局長 武田耕次)

2009/08/04

美術館の運営

カテゴリー: ブログ — 管理人 @ 09:44

最近、美術館の運営を単に何人の入館者が入ったかだけで評価する傾向が非常に強くなっています。鹿追町の神田日勝記念美術館も例外ではありません。美術館本来のあり方を考える上で、より多くの人々に来館してほしいと願っているのは当然ですが、それだけで美術館の善し悪しを評価してしまうのはあまりにも偏狭すぎるのではないのだろうかと考えるのです。
長野県上田市に窪島誠一郎氏が館主をつとめる2つの美術館があります。一つは本館ともいうべき信濃デッサン館であり、もう一つは分館である戦没画学生の遺作を展示している無言館です。信濃デッサン館は昭和54年のオープンなので、既に開館30年になる個人美術館としては老舗中の老舗ですが、無言館が12年前オープンして以来、すっかりそっちが有名になり、毎年10数万人もの来訪者で溢れているにもかかわらず、本館である信濃デッサン館は入館者が減り、一時休館に追い込まれたといいます。(平成19年夏再オープンしています。)館主の窪島さんは二つの美術館のどちらにも愛着があるのですが、とりわけ信濃デッサン館への想いは深く、そのことは「無言館の坂を下って」(信濃デッサン館日記=著者窪島誠一郎)の中で、無念の休館から再館までの2つの美術館に揺れる想いを書いています。なぜ休館せざるを得なくなりながらも、再開館を願ってきたのか、その想いの中にこそ美術館の役割、美術館の持つ社会的使命、責任のようなものを感じました。(神田日勝記念美術館友の会事務局長 武田耕次)

2009/08/01

信濃デッサン館館主 窪島誠一郎氏の美術講座

カテゴリー: ブログ — タグ: — 管理人 @ 00:00

神田日勝記念美術館友の会主催(共催:神田日勝記念美術館)で長野県上田市にある信濃デッサン館と無言館の館主である窪島誠一郎氏を招き美術講座を予定しています。館主が小さなデッサン館とともに戦没画学生の遺作となった絵を展示している無言館を主宰する想いをお聞きすることにしています。20世紀末盛んに21世紀は「心の時代」といわれていました。ところが21世紀に入った途端に心の時代はどこかえ吹っ飛んでいき、「効率」のみが求められる時代になってしまいました。このような時代だからこそ美術館で静かに自分を見つめる時間が大切な気がしています。心に響く一枚の絵が勇気づけてくれることもあると思いますが、その美術館の運営が「効率主義」のもとで切り捨てられる時代になってしまっていることに不安を感じています。今回窪島氏がどんな想いで二つの美術館を運営しているかをじっくりお聞きしながら、この小さな美術館の将来について考えてみたいと思っています。

2009/07/27

神田日勝記念美術館ブログを始めました。

神田日勝記念美術館ホームページで新しくブログを始めることにしました。私は神田日勝記念美術館友の会事務局長の武田耕次と申します。よろしくお願いします。
さて、最近相次いで全国の個人美術館を紹介する本が2冊出版されました。「あの画家に会いたい個人美術館」(大竹昭子著=新潮社)と「新小さな美術館への旅」(星留璃子著=二玄社)の2冊です。全国各地の有名な個人美術館、三岸好太郎、東山魁夷、棟方志功などの美術館と並んで、神田日勝記念美術館が印象深く紹介されています。


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